穂村弘というあちらとこちらの橋渡し役

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この人は歌人という短歌を作ったり詠んだりする人です。 

初めて名前を拝見したのは、ぼくのりりっくのぼうよみとの対談。

 

http://noahs-ark.click/conversation3/ (なんか見れなくなってる?)

この対談のなかで、カニクリームコロッケについての話があって、それがなぜだかとても印象に残りました。

そこから、この人のエッセイ本をちょくちょく読むようになりました。

短歌というものはよくわからないし、他にも萩原朔太郎とか宮沢賢治とか村上春樹とか正直何が面白いのかよくわからんものがたくさんある自分にとって、そういう難しそうなものが分かる人=遠いところにいる人というか、とても才能があるんだろうなと憧れてしまいます。

この穂村弘という人は、もちろん遠いところにいる人だと思うんですが、わからないこちら側の方に合わせて言語化して伝えてくれる人だ!とめちゃ感動しまして。

特に以下の2冊が好きで

 

はじめての短歌は、このタイトルだと短歌の書き方のレクチャーがされそうなイメージですが、中身は一般の方の投稿作品を添削しているものになります。

ただ添削するだけなら他にもあるかもしれませんが、この本は「何が良かったのか」を明確にするため、「悪くしたらどうなるか」改悪例が書かれています。

そして短歌がわからない自分がみても、改悪例が確かに悪くなったと思うのです。悪くなったというか良くはなくなったというか。その良い部分がどういう要素なのか説明できる、作品の肝が言葉にできているって個人的にとんでもないことだと思うんですがどうでしょうか。

また、ちょくちょく書かれますが「生きのびる」ことと「生きる」ことの違いについて書かれているのもとても印象的でした。

時代やらコミュニティやらで生存するためにいろいろ覆い隠してサバイバル的に生きのびることと、良く言えば個性的、悪く言えば変わり者として生きること。

どちらかといえば誰しも「生きのびる」ほうに共感しそうなものですが、そのままを書いても共感されないというのも、作品作りの参考になります。

 

きっとあの人は眠っているんだよ、は読書日記で、難しそうな本だけではなく漫画についても書かれたりしてますが、読むたびに、目をつけるところが面白いなぁと思ってしまいます。

河豚洗ふために水また水また水

すごい水の量だ。ここまで丁寧に洗うのは、やっぱり「河豚」の毒のせいだろうか(中略)

霧吹きの霧となるべし春の水

(略)「水」にもいろいろな運命がある。その中でも「霧吹きの霧となる」っていうのはかなりレアなんじゃないか。自分が「水」だったら「河豚」を洗うよりはそっちの方がいい。

 

夜の蝉しんしんと啼くかたはらを妻とわれゆくゴミを抱へて

<私>は奥さんとゴミを出しに行ってるだけ。なのに何かが深く心に沁みてくる。あえて言語化すれば、それは、今ここに生きて在ることのかけ替えなさ、である。「蝉」の声が、普通にしててもじきに死ぬ、という命の定めを伝えている。

読んだもの(太字)に対して日記が書かれている。

自分が普通に読んでもそんな感想は出てこないし、それを読んだ後だと句もすごいって思えちゃう不思議。

他にも「短歌ください」シリーズや「整形前夜」も好き。

ちょっと作品をみる目線を変えてくれる、翻訳者というか仲介役ような、そんな作家さんだなと思います。

 

こんな風に作品を言語化してくれて、しかもわかりやすいってなかなかないんじゃないかなと思ってまして。

他にもいるんかなこんな人。

アーティストとか、作ってる人自身の解説で何言ってんのかわかんないやつ良くある。編集のせいか?

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